文部科学オピニオン・コラム1−A


地域で子供を守る A寺子屋論 

●義務教育の大政奉還 

 第159国会において、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案」通称コミュニティ・スクール法が通過しました。我が国は明治5年(1873年)学制頒布、明治11年(1884年)教育令制定、明治13年(1886年)小学校令・中学校令さらには戦後昭和22年(1947年)の教育基本法、学校教育法等々、その功罪・善悪はともかく一貫して国民皆学、画一的ながらも平等な義務教育制度を築きあげてきましたが、2004年、このコミュニティ・スクール法の導入は学制頒布以来、戦後の民主化教育も含め、計130年以上おしすすめてきた義務教育政策において「明治維新」級の大変革と考えてよいとおもいます。コミュニティ・スクール法の思想を一言でいうと「『官』から『民』への大政奉還」、義務教育における『官』の主導権は"コミュニティ"すなわち『民』へ移行されるということです。

 文科省によればコミュニティ・スクール法のねらいは「学校運営協議会を通じて、学校運営に地域住民や保護者が参画することにより、地域の実情に応じた特色ある学校づくりを実現すること」です。 具体的には  

@地域の力を学校運営に導入することを通じて学校運営の活性化を図り

A地域住民や保護者の参画により校長の学校経営を支援し

B外部講師やボランティアの依頼等、地域の協力を得やすい環境を構築すること

 であり、地域住民や保護者が参画する学校運営協議会の役割は、

@校長が作成する学校運営の基本的な方針について承認を行い、

A教職員の任用に関して任命権者である教育委員会に意見を述べる、

B教育委員会はその意見を尊重して教職員を任用する。

 とあります。地域住民は、地元の公立小学校中学校の学校経営に参画し、新しい教師を選び、教材を選ぶこともできます。さらには校長の選任にも関与し、おそらく近い将来、教育委員会にも直接参画することになります。

 現在我が国には小学校が23,633校、中学校が11,134校ありますが、コミュニティ・スクール法の理念を押し進めると将来的には 地域住民・地域社会が一丸となってこの計34,767の義務教育機関をコミュニティ・スクールとして運営していくことになります。

 学校運営協議会は、定員に関しても自由裁量の幅が大きく、34,767のコミュニティ・ スクール学校運営協議会の定員を5名とすると34,767名の委員長、139,068名の委員、定員10名として委員長委員計347,670名のメンバーを地域住民・地域社会から輩出しなければなりません。また学校運営委員会委員の立場は地方公務員法上の特別職・地方公務員となります。

 保護者、地域の皆さんが

・基礎教育を徹底する学習を実施したい。

・地域ボランティアを活用したい

・地域での体験活動を実施したい

・地域色豊な教育を実施したい

 とおもえば、地方公務員法上の特別職・地方公務員である学校運営協議会の委員となって学校の運営に参画することができます。

 これは、すでに第159国会において法律として決まったことであり、2004年9月から、日本中34,767校の公立小学校、中学校をこのようなコミュニティ・スクールとして皆さんが運営に参画することが、法律的に可能です。国の教育行政は義務教育費の国庫負担は継続しつつ、教育の不公平を調整するに留まります。これはまさに「義務教育の大政奉還」以外の何ものでもありません。皆さん、公立学校におけるこの現実をご存じでしたか?

 私は民主党(現在のところ野党ですが)に属し且つ衆議院文部科学委員会に属する国会議員ですが、文科省のこの"英断"を評価します。

 文科省に対して「責任放棄」等非難することはたやすいものです。「荒廃を言われる公立学校がいよいよ崩壊する前兆か?」「私立学校へのニーズが一層高まるだけではないか?」等々否定的な考えも可能です。私も衆議院文部科学委員会での議論の途中「これでは日本の教育が根底から崩壊しかねない…」との危機感をも持ちました。

 しかし「義務教育における国庫負担の大原則は堅持される。これはいうなれば『金は出すが口は出さない』ということ。これはカルロス・ゴーン氏に企業運営を委ねた日産の旧経営陣の英断にも通じる」との考えに至りました。

 教育関係者には"まず全国47都道府県に1校づつモデル校を創って…"といった意見もあります。おそらく、一度動き出した変革の大波は誰も止めることはできません。「全国34,767校の公立小中学校のコミュニティ・スクールへの移行を目指して、義務教育の大改革に挑むべき」との決意から、この国会緊急報告に至りました。

 日本の義務教育は、"シフト・ザ・フューチャー"を掲げて一気に企業再生を成し遂げた ゴーン日産に負ける訳にはいきません。ただコミュニティ・スクールの場合にはカルロス・ゴーンのようなスーパースターは 必要ありません。"地域のこどもは地域で守る!"子どもを思う多くの地域の皆さんの理解を得た上で、実際に地元小学校中学校の「学校運営協議会」に参画いただかなければなりません。

 皆さん、地元の「学校運営委員会・委員」に手を挙げてください。そして学校運営に参加してください。"まず隗よりはじめよ"言うだけでは評論家の仕事、私自身も国会議員を職業とする地域住民のひとりとして地元小学校の「学校運営協議会・委員」に手を挙げさせていただきます。のみならずコミュニティ・スクール法を出してきた文部科学省の諸君に対してもそれぞれの地元の「学校運営協議会・ 委員」に手を挙げることをも求めます。同僚の国会議員にもしかりです。

 法律の出しっ放し、つくりっぱなしは、コミュニティ・スクールの場合、道路やダム以上に許されるものではありません。

●コミュニティ・スクール成功の鍵は寺子屋にあり

 「では、どうすればよいのか?」「そもそもコミュニティ・スクールって何?」「学校運営協議会・委員になって具体的に何処で何をどうするの?」等々、私にとっても皆さんにとってもおそらく初めての話です。何事も「やってみること」が肝心ですが、その前に「敵を知る」ことが肝要です。(勿論コミュニティ・スクールは敵ではありませんが…)

 そこでコミュニティ・ スクールへの参画を皆さんに御願いするに先立って、「敵」なるものを調べてみました。その結果、先人たちの知恵である寺子屋を「学ぶ」こと、寺子屋に「真似ぶ」ことで、義務教育の信頼回復、コミュニティ・スクールの成功が可能であるとの結論に至りました。コミュニティ・スクール法という名前から察しがつくとおり、これは欧米の教育制度に由来するものです。 

 この法律を導入するにあたり、文科省は欧米の教育事情を詳しく調べました。ただ、コミュニティ・スクールを直訳すれば「地域学校」です。「地域学校」を調べるのであれば、我々の先人が築いた地域の学校:寺子屋とその仕組み、ノウハウこそ精査すべきではなかったかでしょうか。"寺子屋こそコミュニティ・スクールの先人"調査を進めるとともに、改めて「寺子屋」の素晴らしさ、先達の知恵に驚嘆しました。コミュニティ・スクール法の導入は、寺子屋を築いた先人の知恵を 活かして地域一丸となって我が国教育の建て直しを図る絶好の機会です。

 まずは江戸時代に全盛を迎えた寺子屋の実態をみてみましょう。参考とした文献は梅原徹『近世の学校と教育』「(思文閣)、久保田信之『江戸時代の人づくり』(日本教文社)、関山邦宏『幕末維新期における「学校」の組織化』(多賀出版)」、藤田 薫「江戸・東京赤坂における寺子屋家塾私立小学校の系譜」(地方教育史研究)、くもん子ども研究所編『浮世絵に見る江戸の子どもたち』(小学館)等です。

 これらの 文献を紹介してくれたのは国立国会図書館調査員の方々です。この場を借りて著者の皆さんには著作物を参照させていただくお断りと調査に頂いた国会図書館の調査員の皆さんには厚く御礼を申し上げます。

●江戸時代寺子屋の実態

 寺子屋は江戸時代を通じて15,506校が開設されています。江戸時代末期1830年天保時代から幕末慶応年間までの40年たらずに8,675校が開設され、中でも安政から慶応にかけての14年間に4,293校が開設されました。

 この時代には1828年にシーボルト事件が起き、1837年アメリカモリソン号が浦賀に来航するが無二念打払令で撃退、1853年 黒船来航、翌1854年日米和親条約、1858年日米修好通称条約、動乱の幕末を経て開国を迎えました。1840年から42年清国におけるアヘン戦争の状況も庶民はリアルタイムで把握しており、21世紀インターネットの時代から推察する以上にすばやく的確に 情報を共有していました。何故か?おそらく、その答えは寺子屋教育にあります。

 寺子屋では6歳から12、13歳の子どもに「読み書き算盤」を中心として、年齢別では なく子どもの習熟度による教育を施しました。授業は朝五ツ時(七時半)頃に始まり、八ツ時(午後二時半)ころに終り、昼休みを省いて6時間程度の授業でした。(ちなみに子どもが待ち遠しい「おやつ」の時間とは、寺子屋が終る時間「八ツ時」からきています)寺子屋の実際を江戸(東京)地方のデータでみると、経営者は特定の身分に限らず武士47%、平民46%、その他(僧侶、神官、医者)7%。また女性経営者も18%となっておりかなり高い。地方の場合は江戸に較べて武士の割合が減り平民、僧侶等の割合が増えています。

 寺子屋の規模は生徒数10名から1600名まで様々で、平均すると140名となり、全国的には平均50〜60名でした。就学率に関しては様々なデータが残っていますが大凡25%とみてよいでしょう。これは当時の欧米先進国と較べても驚異的な数字です。何故15,506校もの寺子屋がありえたのか?素朴な疑問ですが、寺子屋には様々な庶民(農工商)の子どもが通っていたが、親たちが子どもを寺子屋に通わせた最大の理由はおそらく「子どもが将来生きていくため(将来のビジネス)に必要な教育を提供していたから」に他なりません。

●ビジネススクールとしての寺子屋

 まず商人の場合をみてみましょう。江戸時代は全国の生産地から大坂を中継して巨大消費地江戸へと商品が流れ、江戸、大坂から全国各地に貨幣が流れるという世界でもまれに見る貨幣経済流通システムが完備されていました。このシステムが機能する上で商人は生産者や顧客、仲間との情報伝達は必要不可欠なものとなっていった。

 中でも書簡のやりとり、契約書の交換、為替手形や各種帳簿類への依存度は高まり「商売の家に生きるともがらは、幼稚の時より手跡、算術執り行うこと肝要」とされました。 農業にしても同じで、『百姓嚢』には「百姓といえども、今の時世にしたがい、おのおのの分限に応じ、手を習い、学問ということを人に聞きて心を正し…」とあります。『異本百姓往来』には「およそ農家に生まれた子どもは、つねづね文字の学習に心がけておかねばならない。譲証文、質入本物返、売買帳、金銀銭請取勘定、算用 帳、水帳、野帳、庭帳、雑穀菜草等の送り状、仕切りの覚えなど、いつでも読めたり書けたりしておかねばいけない」とあります。また江戸時代は職人技、巧みの技も高まっていったが、職人が技を伝承するにも数値化した情報の共有が不可欠です。

 また職人の顧客である一般の人々も職人技の粋である製品を高く評価し、愛用し、すばらしい職人の存在を全国に知らしめる、という物心両面に渡っての職人支援態勢が形成されました。鎖国という閉じられた世界であればこその競争原理を伴った情報化社会が江 戸時代において熟成していきました。

●ロースクールとしての寺子屋

 さらには政治との関係においても、為政者は自らの職務遂行はもとより、庶民への伝達例えば諸法度、御触書、御高札、さらには五人組帳前書などの法令類はいずれも文章の形でなされ、庶民が幕府や諸藩に建言、請願、訴訟などといった形で申し出る場合にも一定の文章形式によることが求められました。寺子屋ではこうした法令類も教材として採用して、為政者も庶民が法規類を理解し遵守することを奨励し、建言請願等の催促も試みています。

 寺小屋とは「庶民が日常の生活において最小限度必要な知識、技術を授けるための教育機関」との定義もあります。江戸時代は21世紀から想像するよりはるかに「日常」そのものが高度に情報化され、生産者と消費者とのコミュニケーション、為政者と庶民とのコミュニケーションが「書」を通じてなされました。寺子屋で子どもたちが使っていた教材は総称して「往来もの」とよばれましたが、往来とは「往復一対の書簡」を意味します。現実に営まれている生活の中で使われているさまざまな書簡、書状さらには法令類を習得し、数値でものごとを共通認識しなければ、江戸時代において生活そのものがなりたちませんでした。

 その前提は庶民が「読・書・算」の能力を身に付けることであり、その根底を寺子屋が支えました。 ちょっと横道 それにひきかえ現在、欧米のプロフェッショナルスクールにならった専門職大学院制度の許で、我が国の大学は競うように経営大学院(ビジネススクール)、法科大学院(ロースクール)を開設しています。大学院の"売りことば"の多くは「実学」「即戦力」ですが、「即戦力」とはすなわち「一人前」のこと。30歳で大学院教育を終えてようやく一人前。これに対して我々の先人は、子どものときから実用書あるいは法令類をひも解いて将来の「一人前」に備えていました。

 また我が国には、上の者が下の者に対して無償の愛に似た気持ちをもって接するという伝統があって、寺子屋でも兄弟子が師匠の替わりに新参の子どもの手をとって、墨のすり方、筆の持ち方、書く時の姿勢などを指導していました。師匠の補助役を至極当然のように引き受ける、欧米でいうチューターやフェロー、アシスタントといった補助教員システムは、我が国においては江戸時代より至極当然のように実施されていました。

 ビジネススクール、ロースクール、さらには寺子屋も精査しないでコミュニティ・スクールといった外来語を上っ面に並べたてて、我々はそれこそ「先祖様に顔向け」ができるのでしょうか?

●「たしなみ」「しつけ」学校としての寺子屋

 江戸においては寺子屋での女児の割合も男児100に対して90にのぼっていました。女子には「たしなみ」がより求められ、寺子屋では女児には「たしなみ」を中心に教えていました。商業活動、特に小売業は女性によって担われる比重が非常に大きく、また近所付き合い、親戚縁者との交流、家計の運営、蓄財など相当大きな領域でも「おかみさん」と呼ばれる女性が実権を握っていました。

 「おかみさん」候補である女児には抽象的な説教ではなく日記調、手紙調、問答調で書かれたものが多く利用されており、商家の女として心得ておかねばならない一般的原理を著わした『女商売往来』、季節の挨拶、年中行事の手引き、近所付き合いのたしなみを著わした『女庭訓往来』、さらには茶、活け花、裁縫などを「たしなみ」としての教科に組み入れる寺子屋もありました。 寺子屋は「しつけ」の学校でもありました。

 江戸元禄時代の儒学者であり『養生訓』の著者貝原益軒(1630〜1714年)は子どもの教育に関する体系的な書として『和俗童子訓』を著わしました。益軒の著作は武士庶民を問わず江戸時代の人々によく読まれ、 『和俗童子訓』はおそらく日本初の"子ども教育論"であり寺子屋のバイブルでした。ただ益軒が独創性をもって『和俗童子訓』で主張した訳でなく、当時の人々が漠然と思っていたことにはっきりとした言葉と理論をあたえたもので、それに人々が共感しました。

 益軒によれば「しつけとは幼い子どもに生活上の習慣や社会で守るべき規範を身に付けさせること」とあります。「およそ小児は智なし、心もことばも万のふるまいも、皆かしづきしたがう者を見習い聞きならいて、かれに似する」人の善悪は生まれつきではなく、生まれた後の教育次第、見習い聞き習い模倣する過程こそ人間形成の決定的要因であり、こどもは繰り返し真似ることにより「しつけ」られます。

 益軒の『和俗童子訓』は「しつけ」の規範となり、子どもは大人になってから役立つ教材を易から難へ反復学習することによって「しつけ」られ、学習しました。

●寺子屋と明治以降の義務教育との連続性

 1868年、大政奉還すなわち幕府から新政府への政権交代をかつて寺子屋で学んだ親たちと当時寺子屋に通っていた子どもたちも迎えます。明治5年(1873年)8月学制によって、「小学校は初級にして人民一般必ず学ばずんあるべからず」庶民からすれば"ある日突然、強制教育としての義務教育"が導入されました。

 新政府は官憲を動員してしばしば父母に子どもを小学校に通わせることを迫り、働き手としての子どもを学校に取られ生活を脅かされることに反発した親たちによる「学校一揆」も少なくありませんでした。 にもかかわらず我が国は新しい義務教育を驚異的な短期間で軌道にのせることができました。その大きな理由は、明治の小学校に寺子屋の教師生徒とともに敷地や建物まで寺子屋から転用できたことが挙げられます。明治8年、小学校はすでに20,692校が開校していましたが、そのうちの16,993校、実に82%が寺子屋の転用仮校舎です。

 「学制」を発布した明治政府文部省はそのような寺子屋を指して「その師匠であるもの大概は流落無頼の徒であって自分の生計を立てるにも不能。素より教育の何足るかを知らないもの」と批判し、多くの県は官選知事の許、文部省の意向にそって寺子屋を廃絶し抑制しました。まさしく官尊民卑、民の協力を仇でかえす官の様子も伺えますが、東京府などは逆に寺子屋を保護し、寺子屋から「私立小学」への移行を認めました。

 明治7、8年に東京府に開校した私立小学校は61校、そのうち寺子屋から移行されたものが40校ありました。京都においても教育知事として名を馳せた槙村正直のリーダーシップの許、多くの市民が学校建設に要する莫大な経費のほとんどを供出して、協力を惜しみませんでした。京都市中2区(上京、下京)には39校の寺子屋がありましたが、学制に先立つ明治2年に早くも34校が廃業し新しい小学校の母体となりました。

 たとえば天保13年(1842年)に開校された寺子屋白景堂は、明治2年当時教師5名生徒603名(内男児326名、女児218名、夜学生59名)を擁していましたが、明治5年学制と同時に廃業し、在籍児童の大部分(明治7年時点で児童407名男児240名、女 児167名)と教員を上京第十四番組小学(のちの出水小学校)に移行しています。

●読み書き算盤

 幕末から明治初頭の庶民が、自分達が「読・書・算」の能力を身に付けることを前提とする社会構造であることを理解し、教育を不可欠のものとして受け止めたが故に、明治政府の新しい教育制度においても積極的に子どもの教育関わっていこうという精 神と風土が、現在まで百数十年継続した義務教育の根底にあるのではないでしょうか。

 その要求を寺子屋が反復学習、個別指導によって根底から支えました。教材に関しても『庭訓往来』『消息往来』等実物が残っているものだけで7,000種類に及びます。 子どもたちに生きていくために最低限必要な「読み書き算術」の心得を身につけてほしいとの要求を満たすため、寺子屋の先生、教材の制作者達は自分たちの生活と誇り を賭けて努力していました。

 寺子屋での初等教育は実用教育が原則で、学問のためではありませんでした。寺子屋は「読み書きそろばん」と生きるための教育に徹していました。ただし「読み書きそろばん」の基礎のないところに高度な学問は、決してありません。 寺子屋は庶民の生活に密着したものであり、根源的な需要に合致するものであったから存続し繁栄もしました。

 寺子屋には卒業証書があったわけでもありませんが、庶民の心情から離反した内容や方法を駆使していたのであれば15,000校に及ぶ繁栄も近代日本の義務教育を支えることもなかったでしょう。教育行政が「これこれの知識、技術を習得すべし」と威丈高に迫っても教育は成立しません。「その師匠であるもの大概は流落無頼の徒であって自分の生計を立てるにも不能。素より教育の何足るかを知らないもの」と寺子屋を批判した当時の文部官僚も、百数十年を経てようやく官の驕りもとれて、コミュニティ・スクール法という形で寺子屋の良さを認識したのかもしれ ません。

●おわりに 

 「読み書き算盤」基本の反復で義務教育改革を益軒のいう「しつけ」の原理は子どもの心や意識に訴えるものではではなく、身体を 通して教える方法です。身体の規律化によって子どもの人間形成し、規律は反復によって習熟します。師匠が書いた「手本」を自らの手で繰り返し書いて模倣し、「手本」を繰り返し音読する方法を「手習い」といい、手まさしく身体で「読み書き算盤」を 体得していきました。

 最先端の脳科学からもこの寺子屋の「読み書き計算」の反復学 習法が高く評価されています。最後に、脳科学者である東北大学医学部川島隆太教授との話と、教授の提唱する
読み書き計算のドリル(出典:くもん出版) を紹介したいと思います。

 人間の脳、特に前頭前野(いわゆるおでこ)には記憶する、思考する、やる気を出す、自発的に行動する、感情や行動を抑える、他人と円滑にコミュニケーションするという働きがあります。「読み、書き、計算」の基礎的なトレーニングこそが、前頭前野を刺激し、その機能を発達させることが発見され、効果も証明されています。

 科学技術振興機構・社会技術研究システムで行った研究では、痴呆症高齢者に読み書き計算のトレーニングをすると、アルツハイマー型痴呆の患者であっても脳機能が改善し、おむつがとれるなど劇的な変化が生じることが証明され、東北大学と仙台市との共同研究では高齢者に自宅で読み書き計算トレーニングを一日5分行うだけで老化に伴う脳機能の低下を防止するのみならず逆に向上させボケを防ぐことも証明されました。

 読み書き計算によって、脳機能が生理的に低下している高齢者ですら脳機能の改善向上が生じます。脳が発達期にある児童においてはもっと顕著な効果が得られます。日本の教育は元来読み書き計算のトレーニングに重きをおいたものであり、これは最新の脳科学研究から教育のシステムの中で最も効果的に脳、中でも前頭前野を鍛える方法であることが証明されています。

 我々の先人は寺子屋において基礎技術素材として将来に役立つ素材を教材に選び、「読み書き計算」のトレーニングを反復し、記憶する、思考する、情報を統合するという思考する、やる気を出す、自発的に行動する、感情や行動を抑える、他人と円滑にコミュニケーションするという働きを鍛えました。

 また現在、子どもに「キレる」「ひきこもる」という社会問題が多発しますが、脳科学からみると「キレる」のは抑制機能の不全、「ひきこもる」はコミュニケーション機能の不全と考えられます。基礎を反復する寺子屋教育は脳科学的見地からも「キレる」「ひきこもる」という症状にも合理的に対処しています。そもそも寺子屋の時代、 子どもが「キレる」こと「ひきこもる」ことなど脳科学を知らなくとも寺子屋の師匠、兄弟子はもちろん、地域の八さん熊さんおかみさん達の愛情が許さなかったのではないでしょうか。

 対して現状の教育はどうでしょうか?「ゆとり教育」「考える力をつける教育」もしくは「国際化に備えての英語教育」といった理念だけが先行して「読み書き計算」の トレーニングが軽視され続けてきました。これは脳科学的見地からみても由々しき事態です。近年の脳科学の発展を考えると、その知識を利用してまずは子どもの脳の健全な育成を図る教育システムを提供できる時代となりました。

 日本の脳科学の科学的根拠をもって「読み書き算盤」を初等教育初期において徹底して行う教育カリキュラムを地元の小学校に導入することが可能です。本来夢多き青少年が「きれる」「ひきこもる」のは夢なく迷うからではないでしょうか。そもそも青少年が迷う国の将来は危ういものです。未来に大きな夢や希望を持てない今の日本、子どもや青年たちが不安でいることに政治は真摯に応えなくてはなりません。

 文部科学委員会に所属する国会議員として、私は地元の小学校で「学校運営協議会委員」に手を挙げます。そして先人の残した寺子屋のノウハウと現代日本の脳科学の粋を結集した「21世紀型寺子屋コミュニティ・スクール」の導入を働きかけます。おそらく試行錯誤の連続です。ただ、良いところも悪いところも全てインターネットなど様々なメディアを通じて情報開示し、皆さんにも意見やアドバイスを求めたいと思います。

 読者の皆さんも、それぞれの地元の「学校運営協議会委員」として「21世紀型寺子屋コミュニティ・スクール」運営に参画してください。私も初めてですし、 おそらく皆さんも初めてです。ただ「地元の子どもを地元で守り、地元で育てる」を 共通の理念として、全国の皆さんと「相互にコミュニケーションを図って、情報を共有し、連携する」ことができると、江戸時代の先人にもひけをとらない21世紀型寺子屋によるすばらしい教育制度を築くことができるのではないでしょうか?

 先人たちは、娘が生まれると、桐の木を植え大事に育て、その娘が結婚する時に、それを切って箪笥などを新調して嫁入り道具にしました。愛情をもって自分の子どもに接し、愛情をもって地域の子どもにも接した先人たちの精神を21世紀の寺子屋で取り戻そうではありませんか。

 


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