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立法府改革論・ミニコラム集
●政府参考人
文部科学委員会や外務委員会などの委員会では、所轄大臣、副大臣に加えて、霞ヶ関の職員(審議官、局長級)が『政府参考人』として国会議員(与野党を問いません)の質問に答弁します。ということは、選挙で選ばれていないこの人達が政府で、選挙で選ばれたこちら側、立法府は一体何なのか。。。の疑問が『政府参考人』ということばを聞くたびに生じる疑問です。
行政府の職員が作ってできたものを議員に説明する過程を経て成立した法律は閣法(内閣から提出する法案が法律となったもの)と呼びます。議員が提出するいわゆる議員立法は衆議院から提出されるものを衆法、参議院から提出されるものを参法と呼びます。第159国会では135のうち衆法が14本,
参法が1本でしたので、正確には135本のうち120本が閣法、すなわち霞ヶ関が創った法律です。
霞ヶ関の仕事として憲法には「各省庁が法律の規定を実施するために政令を規定すること」が規定されていますが、法律をつくることは規定されていません。ただ内閣法に「内閣総理大臣は、内閣を代表して内閣提出の法律案、予算その他の議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告する」という規定があり、文科省の職員などが霞ヶ関から永田町に説明にくる法案:閣法はこの法律を根拠としてつくられています。
ちょっと穿った言い方をすれば、現在の政府参考人とは自分たち『政府』が作った法律(閣法)を(政府外の)立法府の議員に『参考』までに説明する『人』といえます。本来、委員会に来る、政府参考人は『政府』である立法府の国会議員が作った法律を政府の一部である行政府の職員として法律を執行する際の『参考』とするために説明を受け、また質問をしに来る『人』であるべきです。
●ラバー・スタンプ
ドイツにラバー・スタンプ論というものがあります。「法律でAという機関が権限を保持するものとされているが、実際にはその実権がBという別の機関に帰属していて、Aにおける公的な決定は、Bが決めたことを追認し、ラバー(ゴムの)スタンプを押して単に公的に認証するに過ぎない」というものです。ラバー・スタンプがドイツの連邦政府連邦議会の無力さをいうときに使われます。
●国会職員
国立国会図書館の職員も衆議院調査局・法制局の職員も国会職員法によって国家公務員特別職職員である国会職員として規定されています。国会職員は4,000名、内国立国会図書館職員が939名、うち調査及び立法考査局が180名、衆議院が1,720名うち調査局が296名、法制局が80名です。(ここではページ数の関係から国立国会図書館調査及び立法考査局にしぼって論じ、衆議院調査局、法制局についてはおって論じたいとおもいます)
●羽仁五郎
1901〜1983(明治43〜昭和57)歴史家。桐生市の機業家森家の五男。一高を経て1921年東大独法科に入ったが、同年9月中退渡欧してハイデルベルク大学で歴史哲学を学ぶ。1924年帰国して東大国史科に入り、1926年羽仁説子と結婚。卒業後日本大学教授として史学科を創設する一方、三木清とともに1928年「新興科学の旗のもとに」を創刊し、翌年プロレタリア科学研究所設立に参画。1931年野呂栄太郎の後をうけて『日本資本主義発達史講座』を編集。明治維新の原動力を人民闘争に求める"人民史観"の上に日本近代史の科学的研究を基礎づけた。1933年治安維持法違反で検挙された後は『ミケルアンジェロ』その他の著述でファシズムに抵抗し多くの知識人の共感を得た。1945年3月北京で逮捕され敗戦を獄中で迎えた。1947年参議院議員に当選し、1956年まで革新系議員として国立国会図書館の設立などに活躍した。
晩年は学生運動を援助し、『都市の論理』は1969年以降の学園闘争期のべストセラーとなった。『羽仁五郎歴史論著作集』全4巻・『羽仁五郎戦後著作集』全3巻ほか、おびただしい著述を残した。
(地球旅行研究所ウェブサイトhttp://www.tabiken.com/より抜粋)
●ポリティカル・アポインティ
国立国会図書館法には「図書館の職員は、国会議員と兼ねることはできない」とあり、国会議員が館長や専門調査員、調査員になることはできません。確かに立法府と行政府の人事交流を禁止している訳でもありませんので行政府経験者が立法府の職員となることは可能です。立法府と行政府の職員の人事交流がよいことであれば一概に禁止するのは愚策です。ただ行政府から5名立法府に元審議官クラスを専門調査員クラスに招くのであれば、立法府からも5名、できれば50名、さらには500名の人材を行政府の審議官級ポストに送り込むことを、立法府が意思決定すべきです。
これは別に無理な話でもなんでもなく、ポリティカル・アポインティ制度といってアメリカなどでは政権交代に伴って当然のように行われています。そもそもわが国政府を霞ヶ関政権と呼ぶならば、霞ヶ関によるポリティカル・アポインティが立法府においても行われていたといえます。人事は組織の要です。人事に関する意思決定も本来立法府が行うべきです。
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