−いじめ問題−
メディアで連日報道されているいじめによる子どもの自殺。それも連鎖反応の様相も現れている。さらに続く危険性も十分ある。校長先生の自殺も報道されている。テレビではコメンテーターや教育評論家がシタリ顔して意見を云っている。それには何の解決になっていない。報道すればするほど、コメンテーターや教育評論家が発言を繰り返すほど自殺が増えていく。何故か?我が家の一人娘もいじめの経験を小・中・高と続いた。いじめの要因は運動嫌いみたいで、体育の時間運動会等で他の子より劣る事が要因と思っていた。スポーツ以外は、成績も悪くない。運動能力が劣ることで、徒競走、鉄棒等遅い。できない。からかわれ、そしていじめへとつながった。家内も私も娘が可愛いし、幸せになってほしいし、悲しい子ども時代を送ってほしくない。至極当然の願いをもっている。娘が学校から帰るといじめられた日は直ぐ自室に入る。家内は問いただす。娘は明らかにしない。この繰り返しの中で家内は学校に相談に行く。一向に解決しない。ときには夫婦で学校に行き、校長、担任、教師の先生に会う。娘には負けないで、強くなる事を学ばす。一番大事なことはママも、パパも絶対愛している事を繰り返し、伝える。どんなに愛しているか伝え続ける。多分娘はこのことが大きな勇気になったと思っている。その上いじめる同級生と戦う方法についても話し合う。その一つは勉強ができるということも大切であることを教える。苦手な体育も、公園で一緒に努力する。あるとき夫婦で学校訪問し娘は云わない“いじめっ子”担任なら当然知っていることを承知で、いじめっ子は誰か、厳しく詰問した。私はその子たちを校長室に呼んでいただきたいと強く迫った。そして私は、校長担任の前でその子たちを娘にいじめをした2倍、3倍ここで殴りつけると申し上げた。それは現実では無いことは承知で、愛する自分の子がいじめに合い、自室で悲しい声を聞けば憤りを憶える。娘は両親の強い保護を知り、少しづつ成長し、いじめっ子と対決していく勇気を身につけていく。学業も序々に上がり、それも自信になったとも思える。娘は現在3つ目の大学で、文学者を志し、良く勉強している。今や、小・中・高時代のいじめ経験も笑いながら家庭内の話題になっている。いじめは犯罪に等しい。“強者が弱者を多数でいじめる。このことは見過ごしては断じていけない。私の教育持論は”1人も落ちこぼれを出さない“であります。落ちこぼれには要因があります。一つ一つその要因を解き明かしていけば解決していくと思える。誰かの一言で解決できるなら簡単この上ない。私は思っている。先ず親が、教員(学校)が、そして何より社会である。と思っている。日本の国会で教育基本法改正法が与野党攻防の中で結局自公勢力で衆参とも通過し、それが全ての教育のお手本になる事になってしまう事が恐ろしい。改正の本旨に子どもたちの幸せとは、論じてはいけない。子どもを愛し誰もが平等に機会を得られ、誰もが子ども時代を振り返り楽しい思い出になる事が最も肝心な事で難しく考えなくて良い。”1人も落ちこぼれを出さない“決心が国民全ての意識を高める事が大切といえる。2004年6月30日以降、1年かけて全国行脚の決心をし、始めた。少なくとも47と都道府県庁、それぞれの県庁所在都市、神奈川県内の市町村はかに離島とか思いつく町や村等訪問し、教育長を中心に行政の責任者、議会の正副議長と面談した。目的は、”1人も落ちこぼれを出さない“観念から学校敷地内全面禁煙の実態調査とその推進、これは、子どもの不良化の始まりはタバコから思いから、学校敷地内全面禁煙の必要性を迫ったり、議論したりした。一方必死に行脚しつつ、文科省に小・中・高の学校敷地内禁煙状況の全国調査を強く実行を求めた。時は少々経たが、先ず小・中の公立学校5万校に対し調査し結果も出してくれた。別表。自分の熱心さは当時の教育長に伝わったと思っている。当然愛煙家の先生、PTAの皆さんには子どもを守る大儀で協力を訴えてきた。その実情と実績は序々ではあるが上がっている。全国訪問のもう一つの目的は現職の時、コミュニティ法案論議をした。この法案に熱心に取り組んだのは理由があります。20数年来、教育の基本に”読み・書き・そろばん“を主張し続けていた。私の大きな関心の一つに長い鎖国政策で、いわゆるメディアという物が少社会のみの世の中で、あの明治維新を容易に受けとめた庶民に大きな関心であった。私はその知識、経験、度量、常識は全国に在した寺子屋にあると思ったからに他なりません。”読み・書き・そろばん“については東北大学医学部の川島隆太教授、前頭葉脳の開発、発達によりあらゆる事に即応できる一般常識とさらなる成長、発展をめざす”志“を養うという学説で、立証されたことで、歴史認識を独自の直感で江戸時代に学べをといてきたことが実証されたことでコミュニティ法案こそ、現代版の江戸時代の寺子屋(当時寺子屋は全国に2万を超えていた)論と理解しその法案の推進も全国行脚の目的であった。この法案は、学校、地域が一体となって地域の子どもを見守り、育むという理解でよいと思っている。学校といえば校長・教師とPTAそして生徒であるが、これに地域も加わるという法案に私の情熱に火がついたといえる。校長、教師もタブーな社会で無くなり地域より自治体の教育長任命で地域の人が学校職員となり発意し、発言できる。コミュニティと表現通り学校と地域一体で、教育だけでなく学校全般に関わる運営委員会で評判の悪い校長“教員”に対して教育委員会に答申できるという画期的な法案。校長、教員というアンタッチャブルな世界に道を拓くものと思えた。からであります。二つの前代未聞と思える全国行脚をつづけた。結果、効果はこれからと思っているが全国学校敷地内前面禁煙は実効性が高いと思い信じます。加えて、2005年8月の衆院選再選を期しましたが、落選。いかに国際社会でわが国が禁煙国家への取組み意欲を示せるかを考え、日本独自の禁煙法を提案しているところであります。子どもが出入り入りする全ての施設を禁煙する禁煙法を有力国会議員の皆さんに検討 を求めているところであります。成人男性の死亡者の40%が喫煙による原因と最近明らかにされています。喫煙や副流煙による要因で医療費が天文学的数字である事をこの際新ためて喚起しておきたい。いじめの問題からいささか脱線しましたが、私はいじめ表現が問題であると思っております。敢えて表現すれば、いじめは犯罪と思っているのでいじめ暴力と表現しなおしたい。暴力は犯罪であることを子どもに大人に熟知させること。このことが大変重要でいじめが子どもお遊びの一種と思われてしまっていることに強く警告しておきたい。犯罪に対し、当然処罰されることを親も子も承知してさせる。いじめを受けた子ども、その親、おじいちゃん。おばあちゃん皆不幸になってしまう。人を不幸にする。それを多勢をとなると正に犯罪といわなくてはならない。いじめ暴力は犯罪という認識こそ日本の常識となることを切望しておきたい。江戸時代の寺子屋では、大きい子が小さい子を地域の人たちが子どもはみんな自分たちの子という気持ちが常識であるように私達みんなが学びなおすことです。いじめ問題でシタリ顔メディアでのそれぞれの発言は、益々いじめが多発し、自殺者を増すだけと思えてならない。
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