■民主主義と3つの社会的責任
今、日本は大きな転換期を迎えています。日本がもがき苦しみ、将来に希望が持てないでいるとすれば。解決策はおそらく一つしかないのではないでしょうか。それは、本当の民主主義の国を創ることです。今まさにその絶好の機会を迎えているのではないでしょうか。本当の民主主義には3つのCSRが必要です。まずは国会議員の社会的責任(コングレスマンズ・ソーシャル・レスポンシビリティ)、そして法人(企業)の社会的責任(コーポレート・ソーシャル・レスポンシビリティ)、最後に何よりも大切なものが市民の社会的責任(シティズンズ・ソーシャル・レスポンシビリティ)だとおもいます。日本は戦後60年一貫して民主主義を国任せ・役人任せにしてきたのではないでしょうか。民主主義の代表である国会議員が国を役人任せにしてきたといった方がよいのかもしれません。このことが根幹となって、企業の運営(例えば基幹産業)、自分たちの年金(例えば厚生年金)、さらには自分たちが預けたお金(たとえば郵便貯金や銀行)の使い方までも、結局は役人任せ・行政府任せにしてきてしまったのではないでしょうか。
おそらくこれからは法人、市民、それに市民の代表である国会議員、3つのCが社会的責任をもって真の民主主義を築いていかなければならないのではないでしょうか。
そのためにも民主主義の3つのCSRを「国会議員の社会的責任」の立場から法人の社会的責任さらには市民の社会的責任について議論していきたいてと思います。
ここでは改めて皆さんに“民主主義”を問いかける意味でもCongressman's Social Responsibilityを掲げたレポートを纏めました。
■法人の社会的責任
CSRはCorporate Social Responsibilityという英語の頭文字です。このCSRを「企業の社会的責任」という言葉で経済誌や新聞の経済記事を賑わせはじめています。
ただCorporateの意味からすると、本来CSRは「企業の社会的責任」ではなく「法人の社会的責任」とするべきと考えました。法人には企業のみならずそもそもの政府、省庁、関連するさまざまな特殊法人、財団・社団、自治体、その関連団体、学校や病院、教会やお寺、学校や病院、託児所・老人ホーム等々すべての組織が含まれます。したがってCSRを「法人の社会的責任」と考えると「企業の社会的責任」に加えて「国の社会的責任」「特殊法人の社会的責任」「自治体の社会的責任」、もしくは「病院の社会的責任」「学校の社会的責任」といった意味合いも含むことになります。「社会的責任はすべての法人にある」これが、加藤尚彦の考え方です。
■国会議員の社会的責任
「法人」に対する言葉は「個人」です。では法人にもっとも近い個人は誰でしょうか。それは間違いなく国会議員(Congressman)です。そもそも衆議院議員はRepresentativeと訳されており、Representativeは「代表すること」を意味します。有権者という個人個人を代表する個人が国会議員かもしれませんが、国会議員こそがどのような企業・法人にも増して社会的責任を果たすべき「法人」と考えました。
■市民の社会的責任
民主主義では国会議員の社会的責任(CSR)より大切なCSRがあります。この表現は不適切かもしれませんので言い直します。国会議員のCSRの根本をなすCSRがあります。それは市民の社会的責任(Citizen's Social Responsibility)です。アメリカの大統領一般教書などではMy fellow citizen, My fellow Americanという呼びかけの言葉で始まります。大統領はシティズン(市民)のために決意を述べ、シティズン(市民)のために政治を行います。ただかつてケネディ大統領も「皆さんシティズン(市民)が自分たちの国のために何ができるかを考えよう」と呼びかけました。
市民が国のためにできるもっとも大切なCSR(社会的責任)、それは「選挙権の行使・投票」ではないでしょうか。言い古された言葉ですが政治を変えるのは有権者の皆さんです。次の選挙では皆さんひとりひとりのCSR:投票権を行使いただけることを心より望みます。その思いをもこめて「加藤尚彦国政白書2005・コンティンジェンシー・レポート(WHITE PAPER 2005 Contingency Report)」を出させていただきました。
■コンティンジェンシーについて
コンティンジェンシーとは「起きるか起きないかわからないこと」という意味がふくまれる英語です。「不測の事態に備える」という日本語が最も近い意味合いかもしれません。ただ「よいこと」であれ「よくないこと」であれ、次に起こることは起きるかも知れないし、起きないかも知れない。だからこそ「不測」です。
アメリカでは「次に起きるかもしれない事態に備える計画書」をコンティンジェンシー・レポートと呼びます。NASAなどでは「起きてはならないこと」をふくめ、ありとあらゆる事態に備えてコンティンジェンシー・レポートを準備します。アメリカは第二次大戦当時から綿密な日本占領計画を練っていたとされますが、これもコンティンジェンシー・レポートのよい例です。日本の占領政策はアメリカの感覚では「不測の事態」というより「想定しうる事態」という感覚の方が近いと思います。
一方、日本といえば、小泉政権の官房長官が「役人は間違わないことになっている」という発言をしていたことがあります。これは「我々に不測の事態はありえない。よってありえない事態には備える必要はない」という戦後60年ほぼ一貫して続いてきた自民党と霞ヶ関の関係を表現した“わかりやすい言葉”だとおもいます。戦後の自民党だけではなく旧日本軍にも日本政府にも“コンティンジェンシー”はありませんでした。「役人は間違わないことになっている」この役人にとって笑いがとまらないほど都合のよい言葉こそが、これまで変わることのできなかった日本を象徴しているのではないでしょうか。
政権交代、民主主義の国ではあたりまえのことですが、日本にとっては戦後60年間経験したことのない“コンティンジェンシー”です。民主主義にとってあたりまえの事態に際して、日本の政治家の社会的責任としてどう備えるか。新しく政権を担う政党として、戦後最大もしかすれば明治維新以来最大のコンティンジェンシーに具体的なプランを持てるか。新しい政権与党として粛々とそのプランを執行できるか。その思いからここに“コンティンジェンシー”という聞き慣れない横文字をあえて使わせていただきました。コンティンジェンシーの鉄則は沈着かつ冷静です。政治家の本分は熱意です。今、日本は未曾有の転換期にあります。それに立ち向かう国会議員の決意をこめてコンティンジェンシー・レポートとさせていただきました。
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