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私の外交戦略:戦略としての東アジア共同体構想<<前へ■戦略としての東アジア共同体構想
日本は東アジア共同体構想を重視すべきだと考えます。「東アジア協同体構想」なるものの明確な定義は、国により立場により異なりますが「東アジア共同体構想の中核はアセアン諸国である」これには万人が異論を挟むものではありません。単純化は誤解を招く恐れがありますが「日本には中国脅威論がある。アセアン諸国にも中国脅威論はある。であればこそ東アジア共同体構想、であればこそ東アジア共同体構想で中核となる」、これが私の外交戦略の答えです。ただ日本とアセアン諸国の中国脅威論は本質的に異なることは理解する必要があります。日本には”中国特需”もあります。中国はアメリカを上回る日本の最大貿易相手国、買ってくれる大事なお客さんです。アセアン諸国にとって中国は実質的な脅威と言えます。
しかしこれは「日本、中国、韓国、さらにはインド、ロシア、オーストラリア、ニュージーランドが仲良くアセアンの国々とつき合っていきましょう」という理想的な構図をいっている訳ではありません。アセアンというおおきな地域に関心あるアジアの強国がまず3つ、さらにはインドもロシアも、それぞれおおきな関心を寄せている、という現実を単純化したものと考えたほうがよさそうです。さらには「隙あらば」「抜け駆け」を考えるのも外交です。もちろんアセアン諸国もだまっていないでしょうしアセアンがEUのごとくまとまるのも理想です。であればこそ、東アジアの理想に向けて日本は積極的に東アジア共同体構想に参画し、発言し、提案していくべきではないでしょうか。「東アジア共同体構想は中国主導」と決めつける人々はおそらく「2000年末、江沢民主席がアセアン・中国事由貿易地域を突然提案し、アジア各国は不意を打たれ、日本は出し抜かれた格好になったとされる経緯」などを指してのことかもしれません(たとえそうだとしても、東アジア共同体構想の中に入って中国とも堂々と議論することがわが国にとって得策ではないでしょうか。議論をアジア、アメリカのみならず世界に開示し評価を仰ぐことがわが国にとって得策ではないでしょうか)。ただ私は東アジア共同体構想が動き出した大きなきっかけは、WTO世界貿易機関のカンクン閣僚会議の決裂(2003年9月)だと考えます。WTO交渉が暗礁に乗り上げても二国間・地域貿易協定が保険の役割を果たすという考えが世界の潮流となり、東アジアでも強くなってきたという考えは世界でも支持されているようです。マレーシア戦略国際問題研究所ノルディン・ソピー会長も東アジア共同体構想に関して「第一に、アメリカが東アジアの経済統合に対し反対の姿勢を示さなくなってきたこと。第二に、細部にこだわる官僚が交渉を仕切るスタイルが姿を消し、政治家が主導権を握るようになったこと。第三に、アジア各国は取り残されることに危機感を強めていること、第四に、しびれを切らした民間企業が早期決着を求めて政府に圧力をかけることが多くなってきたこと、第五に、欧州など先行地域が経済協力・統合の経験を積んだこともあって、経済協力に除外条項を設ける方式が登場し、自国にとって影響の大きい分野を当面協定から外すのも認められるようになってきたこと、などから、アジアに限らずどこの国の保護貿易主義者も、多国間協定推進派も、二国間地域協定・準地域協定推進派も、地域間協定への流れには正面切って抵抗できなくなってきた。よって東アジア協同体構想へ道筋はついた」としています。 ■日本アセアン行動計画:東アジア共同体構想のたたき台 2003年12月東京でアセアン首脳会議が開かれました。アセアンが域外で首脳会議を開催するのは初めてのことです。それにひきつづいて2004年年頭に“日本ASEAN行動計画”を発表しました。日本アセアン行動計画には120項目のやるべきことが書き連ねてあります。これは“日本からアセアンへのマニフェスト120”といえます。ここではその項目を評論することはいたしませんが、120項目におよぶこの“日本からアセアンへのマニフェスト”を粛々とコミットし、それをアピールすることは、そのまま東アジア共同体構想につながるのではないでしょうか。 日本アセアン行動計画では重点項目として
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