コンティンジェンシーレポート2 私の郵貯改革論:日本興業長期信用国民銀行論・その2 国民(預金者)のCSR:求む、真のバンカー・第二の鞍馬天狗! 世界初、国民(預金者)による真のバンカーの創出
民主党政権となれば、郵便貯金問題にも対処していかなければなりません。先に日本興業長期信用国民銀行を提唱しましたが、この銀行を活かすには一にも二にも人材、真のバンカーが必要となります。この挑発的素人銀行論が真のバンカーを見いだすことの一助ともなれば幸いです。
財界の鞍馬天狗のことば その1
郵便貯金を民営化した、日本興業長期信用国民銀行は、10年金融でやっていく。会社規模がどうだとか、経営者がどうだとか、設備がどうだとか、いろんな観点から調査して貸すが、長期のことなので、途中、いろいろ国際社会・国内社会で起きた変化で傷を負ったりするし、風邪をひくこともある。そのときに手当しながら治してやっていくのが、長期の産業金融というもの。潰れるものは潰してしまえというものもいるが、我々のようなバンカーがいる限りそうはいかない。
財界の鞍馬天狗のことば その2
この不況の中でも伸び続けている業種がある。調達金利の十倍ほどの高金利で荒稼ぎをする「サラ金」企業である。その中には、株式上場を認められる企業も出た。私は東京証券取引所の理事長に「何故サラ金が東証一部企業に名を連ねるのか」とクレームをつけた。」東証は「法的には問題はない」という回答をよこした。しかし、私は「借り手の顔も見ないで金を貸すなんて、明らかに公序良俗に反するのではないか」と納得しなかった。
財界の鞍馬天狗のことば その3
ゴーイング・プライベート:名門企業・証券取引所からの引き上げ
サラ金が名を連ねることを「問題なし」とする日本の証券取引所から、名門企業ワールドが「株式上場することに意味なし」として株式非公開を決めた。買収されるリスクに加え、上場に企業イメージを損なうリスクがともなうのであればゴーイング・プライベート(株式非公開)! 上場企業による株式非公開も時代の潮流かもしれない。
財界の鞍馬天狗のことば その4
借りる人の身にもなってみる。真のバンカーとは常にそのスタンスを保ち続けて、世を見るものをいう。
財界の鞍馬天狗のことばその1からその4に同意するバンカー諸氏、私の「挑発的素人銀行論」にファイトが出るバンカー、聞く耳をお持ちのバンカー諸氏は、日本興業長期信用国民銀行の経営者に名乗りをあげてほしいとおもいます。そして真のバンカーを目指してほしいとおもいます。
■サラ金の都市銀行化・都市銀のサラ金化
郵貯民営化問題が議論される中、昨今のサラ金は都市銀行グループであることを堂々と主張しはじめました。興銀、長銀が消えた後もその前も日本経済を根底から支えてきた都市銀行がそれに抗議した話はきいたことがありませんし、東証一部上場企業になったサラ金業者の株式の25%以上を保有する都市銀グループもありますので、どうやらサラ金と都市銀行は表裏一体さらには一心同体と考えて間違いありません。
80年代のバブルは「向こう傷を恐れるな」という某都市銀頭取のかけ声を端緒に、競合する都市銀行が先を争って不動産:土地・建物・ゴルフ場・リゾート等々に貸し込んだから、とも言われています。不動産バブルの由縁です。実はバブル期(1980年代後半)、それまで銀行の貸し手の中心だった日本企業は国際競争力をつけ、日本の銀行からお金を借りることを必要としなくなりつつありました。「向こう傷を恐れず、危ないところにも貸さないと、自分たちが危ない!」これがバブル期の日本の銀行の厳しい現実でした。バブルを乗り越えた多くの日本企業はさらに力を付け、日本の銀行を必要としなくなってきています。
■都市銀とサラ金と国債
現在、銀行のお金を必要とする大手は2つだけ、サラ金と国(国債)と言い切ってよいとおもいます。さらにいえば、銀行は、まだお金を必要とする企業からお金を引き上げて(貸し剥がし!)サラ金に金を回し、サラ金の株を買っているのが実情です。ただし、銀行が唯一恐れる国の債権:国債も買っているということです。
※木津信とサラ金:TVコマーシャルのシグナル
1995年破綻した「木津信用金庫」という金融機関は、1991年から人気女優によるTVコマーシャルを乱発しはじめました。今、サラ金のTVコマーシャルが氾濫し、駅前の看板・ティッシュ・ペーパーの氾濫に、私は危機感を覚えます。
木津信は1970年預金額22億円であったのが、1990年3215億円、1995年には1兆2000億円という驚異的な伸びを見せました。この貯金の膨張には大手銀行からの紹介融資に支えられていました。木津信は集まったお金を「バブル期最後の局面で、ババをつかむ」形で不動産投資につぎ込んでいきました。「大手銀行の紹介銀行を高利で受け入れ、それをそのまま右から左へ資金を流すだけの成長を続け、回収不能となる物件を引き受けるようになりました。
■消費者金融のCSR:質屋の美徳・金貸しの本分
八っつぁん、熊さんの時代から、いつの時代も、消費者がお金を借りることは必要です。ただ昔の質屋さんなどは、借り手の様々な事情をおもんぱかったように商店街を一本曲がったところなどにあったのではないでしょうか。質屋さんは良い意味で「金貸し」の本分をわきまえ、社会的責任を果たしておられたようにおもえます。昨今のサラ金・消費者金融はテレビコマーシャル、駅前に氾濫しています。異常です。異常事態は長く続かないものです。ただこれは消費者金融業に原因があるとは考えません。
現在の銀行金利は手数料を考えると実質マイナスです。銀行全体が実質貸金庫状態です。通常の貸金庫は預かったものには絶対に手を出すことはありませんが、この貸金庫は手数料を取った上に貸金庫の中身を消費者金融に貸し付けます。銀行にしてみれば仕入れコスト0です。消費者金融は銀行への利子分稼がなければならないので、高い利子を払ってくれる顧客を必死に捜します。必死に宣伝を打つものです。ありとあらゆるテレビ番組コマーシャルで躍ったり謳ったりするのも、ありとあらゆる駅前でティッシュ・ペーパーを配るのもほとんど若い女性です。私は痛々しいと思います。いたいけな笑顔でティッシュ・ペーパーを配る彼女たちと、かつて木津信のコマーシャルで、元気に自転車を漕いで走っていた清楚な女優とダブって仕方がありません。
■ペイオフ:金貸し同志の貸し剥がし
ペイオフが導入されました。大きな銀行はペイオフ導入を追い風にして、小さな金融機関に預けてある消費者のお金をかき集め、消費者からかき集めたお預金をサラ金を経由して、消費者に貸し付けています。木津信は右から左でしたが、消費者から集めたお金を消費者に貸しています。ワッグ・ザ・ドッグ:犬が自分の尾を追って廻っているような話です。財務諸表的に見れば、大きな銀行とサラ金の業績だけは右肩上がりですが、木津信も財務諸表的には優良だったといえます。ただ経済学的に見れば不動産取引はGDPに含まれませんし、中小金融機関の預金が大きな銀行に移動してもGDPには含まれません。ただし不動産の場合は地べたが限られていましたが、消費者金融の場合は毎年新しい顧客が成人を迎えるぶんだけ、ババをつかまされる恐怖からは少し遠いのも事実です(義務教育に「お金の教育」も必須です)。
但し、かつて日本興業銀行、日本長期信用銀行、日本債権信用銀行が崩壊したのは「お金を借りてくれるところがなくなったこと」に他なりません。明日は我が身という言葉があります。日本興業銀行・日本長期信用銀行などの本当のバンカーたちが日本企業を育ててきたのは事実といえます。ただ日本企業は立派に育ってしまいました。よって役目を終えた興銀も長銀も、職域を失った産婆さんの如く消えました。次は、護送船団方式で日本企業を育ててきた都市銀の番ではないでしょうか。バブルの後生き残りをかけて進められた都市銀の合併劇・お見合い劇は、病院主催のフォークダンスもしくは盆踊りのようなもの。病院はさしずめ旧大蔵省でしょうか。おそらく病院自体も金融庁に代わり、病院は消灯の時間です。「サラ金の都市銀化・都市銀のサラ金化」は都市銀の合併劇が一段落してから始まっていますが、さしずめ消灯後の病院でのカラオケ大会といったところでしょうか。かつて育てた子どもたち大企業からの哀れみの声はあっても、一般社会・パブリックからの喝采も拍手も期待は望めないではないでしょうか。今、銀行を中心とする間接金融制度そのものの存在意義が問われているのではないでしょうか。
■お化粧について
かつてサラ金が東京証券取引所に上場したことに対して、財界の鞍馬天狗・中山素平さんは「公序良俗に反する」と東証に抗議しました。東証理事長は「問題なし」とし、その後もサラ金業者の多くが株式上場を果たし、自分たちサラ金が東証上場であること、一流企業であることをアピールしています。では「東証上場企業サラ金業者の株を買うか、国債を買うか?」もしこの二者択一しかないのであれば、私は間違いなく国債を買います。モラルからもリスクからも国債です。ペイオフ(預金保証限度1000万円)も導入されました。預金者は預金の運用に口は出せません。かつて大企業に木津信用金庫への預金を紹介するかたちの融資を連発した大手銀行は合併を繰り返した後、監督官庁から重度の業務改善命令を受け、2005年10月、さらに大きな銀行に吸収されることになったと聞いています。吸収を引き受けた最大手銀行もサラ金とのグループ化を競い合っています。最大手行の引き取り手はもうありません。バブルの後処理の紹介融資ではババ抜きゲームのババを木津信が引き、結局紹介融資を仕組みんだ大手銀行もババを引きました。ただババ抜きゲームも本当に終局を迎えているのではないでしょうか。お金は絶対にウソをつきません。過去のウソ・現在のウソは近い将来のババとして日本の間接金融制度自体で被る他ありません。ただお金の診断書(財務諸表)では、ほんの少しの間ごまかしが可能です。いってみれば財務諸表にはお化粧が可能です。ただ死化粧は出棺の時間まで持たすことが精一杯、それ以上は無理、それがお化粧の悲しい現実です。
■郵便貯金者のCSR:真のバンカーの育成・創出
かつて長期信用銀行法という国策に基づいて創られた日本興業銀行、日本長期信用銀行といった金融機関が日本企業・日本経済を引っ張ったといった日本独自のよき間接金融の仕組みがありました。郵便貯金民営化はもう一度日本独自の企業育成を一から始める絶好の機会ではないでしょうか。ただそれには真のバンカーが必須です。かつての興銀、長銀、それに多くの都市銀、地銀、信用金庫にもいたとされる真のバンカーが必要です。真のプロであれば、向こう傷は恐れるべきです。そして傷の痛みは貯金者にも説明するべきです。その上で傷と恐れをプロとしてマネジメントするべきです。
211兆円郵便貯金の貯金者は「日本興業長期信用国民銀行」の株主のようなものです。211兆円という莫大なパワーをもった貯金者は、自分たちのお金を自分たちと一緒になって考えて、使い道についてそのリスクとリターンをきっちり説明できる真のバンカーを招聘しようではありませんか。ニーチェは“神は死んだ”といったそうですが、わたしたちの日本では“銀行は死んだ”のかもしれません。「“銀行のモラル・ハザード”を論じること」は「死んだ子の歳を数えること」同様、寂しく侘びしいことかもしれません。ただしそれは法人の問題、たとえバンクは死んでも日本には真のバンカー、真のバンカーの魂をもった人々はまだまだ数多く頑張って生きているはずです。私たち日本国民ができること。それは死んだ銀行から預金を引き上げること。そして郵便貯金に振り返ること。そして世界最大の貯金額(350兆円)を誇る国民の国民による国民の銀行で、真のバンカーを育てることではないでしょうか。彼らにバンカー本来の社会的責任を果たしてもらうこと、そういう場を提供することこそが、郵便貯金者の社会的責任ではないでしょうか。
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